平安時代中期ころより発展し、江戸時代の中ごろには現在残る形にほぼ近いものとなった。外観は、紅殻格子(べんがらこうし)と呼ばれる色の濃い格子、虫籠(むしこ)窓、犬矢来などが特徴的である。2階建てが多いが、平屋や3階建てもある。
町家の立地する敷地は、間口が狭く奥行きが深いため、「うなぎの寝床」と呼ばれる。一般には、江戸時代初期に三間の間口を一軒役として税金が課せられるようになったためこのような形状になったという俗説が流布しているが、これはまったくの誤りである。高密化した市街地においては類似した建築は世界中にみられる。必然的に道に面する戸数が多くなるよう建物が建ち並ぶからである。
京都市の定義で「1950年以前に伝統的木造軸組構法で建てられた木造家屋」とされる京町家は、1864年の禁門の変ののちに発生した大火(どんど焼)以降に建てられたものがほとんどである。1998年に行われた市の調査によると、市中心部(上京、中京、下京、東山区)で約28000軒が確認され、市内全域で推計5万軒残っているとされていた。
2010年8月、京都市が市内全域を対象に京町家の実態調査を行った結果、47735軒残存しているが、うち10.5%が空き家であると分かった。江戸時代の京町家は全体の2%で、明治時代のものも14%あった。また、中京区などの都心部では、1996年に行った調査に比べ約2割減少していることも判明。老朽化や住人の高齢化が主な理由とみて、市は調査結果をデータベース化して保存・再生の仕組みや政策づくりに反映させるという。
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